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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第2節 白い罠 [10]




 だがそういうワケにもいかないだろう。
 制服に着替えて髪を結び、鏡で確認する。
 寝起きとは言え、なんとも色気のない顔。
 ほとんど陽に焼けていない頬は、白いというより青白くすら見える。低い鼻に小さな口。伸びた前髪も一緒に後ろで束ね、露わになった額はお世辞にも形の良いものとは言えない。
 襟元でリボンが微かに揺れた。幅の広い柔らかなリボンは、結んでしまえばきっちりと首元を隠し、胸元の過剰な露出を防止する作りになっている。
 また、灰色のスカートはワンピースになっており、ベストやそのような類のものはない。夏場、白いブラウスから下着が透けて見えるのを防ぐ効果がある。脇下までのファスナーを上げると、上半身が引き締まりスタイルはそれなりに良くも見える。
 だが、猛暑でも上に2枚着ていることになるため、風通しの良い素材であっても正直暑い。白いシャツ1枚で涼しげに歩く男子生徒を羨ましくも思う。
 その暑さは、なにも美鶴だけのものではないはず。にもかかわらず、誰も異議を唱えない。
 制服は学校のシンボルでもあり、制服に異議を唱えることは、学校に異議を唱えるという意味になる。
 異議を唱えるのならば去ればよかろう?
 それが、上流階級の考え方なのだ。
 また、昨今の高校生の制服の着こなし方に眉をひそめる父兄にしてみれば、「品のある学生らしい制服」と好評でもある。
 そのワリには短いよな
 ヒザ丈のスカートを軽く叩いた。
 灰色を基調とし、太いラインと細いラインを交差させたウォッチマン・プレイド柄。シンプルだがどことなく愛らしい。襟元の水色のリボンがフワリと品の良さを演出する。
 似合わないな
 美鶴は自嘲すると、濃灰の上着を羽織った。シングルの2つボタンを留めて、再び机上の鏡を見つめる。濃い色の制服に、やはりリボンが映える。だが自分には何の効果も与えてはいないと思うと、妙に冷めてしまう。
 フッと見ると、机の上にタオルが一枚。触ると、湿っていた。
 こんな風に気をまわしてくれるなんて、本当に珍しい。男の一人や二人でこうも態度が変わるものなのか。感謝するというよりも呆れた。
 濡れたタオルで顔を拭くと、意を決して襖を開けた。振り向いたのは聡だけだった。
「っよ! 早くしないとメシなくなるぜ」
 その言葉を無視して台所に立った。コーヒーを入れるとその場で啜りながらテレビへ視線を移す。床に胡坐をかいて背を向けていた山脇が、ゆっくりと振り返る。
「おはよう。眠れた?」
「………うん」
 短く答える。
 自分よりもよほど美しい山脇の瞳に優しく微笑みかけられ、思わず背を向けた。
 「中二のときっ」
 そう叫んでしまった己の声が耳朶を駆け巡る。それはまるで流星のように、突然現れては消え去り、だがまた別のところに出現する。
 過去の汚点。
 そう呼んで間違いない。
 聡は、学校でバラすだろうか?
 そういう人間ではないはずだが……
 そこでハッと我に返り、眉を寄せる。

 信じられるものかっ

 ……… 誰も、信じられない
 だがそうなると、やはりあの件が校内に知れ渡る。

 それだけは避けたい。どうしてもっ―――

 背後をチラリと振り返る。
 山脇の背中が大きく見える。実際、美鶴よりはよほど大きく広い。
 彼のことなど、美鶴はほとんど知らない。
 彼の口から、広まるかもしれない。
 美鶴が中二のときに失恋したなどという噂が広まったら、同級生はそれこそ両手を叩いて喜び、勇んで美鶴をからかいに来るだろう。
 美鶴の胸中には、朝からどんよりと重いものが居座りこんできた。
 結局、それ以外何も会話をしないまま家を出た。できるなら二人を置いて一人で登校したかったが、山脇も聡も当然のように美鶴の両脇を歩いた。
「どういうつもり?」
 露骨に不機嫌な顔をする美鶴の言葉に、聡が首を(かし)げる。
「どういうつもりって?」
「なんで私がアンタ達と一緒に登校しなきゃならないワケ?」
「しなきゃいけないってコトないけどさ」
「別にいいじゃん。同じ学校に行くんだし。ワザワザ別々に行くこともないだろう?」
「ワザワザ一緒に行くこともないでしょう」
 山脇の爽やかな笑顔を()めつける。その笑顔は、晴れ渡った春の空に憎たらしいほどお似合いだ。
「君の家から学校までどれくらいかかるのかわかんないもん。いつ出て行っていいのかわからないんだから、君に合わせるしかないだろう?」
 そんなの聞いてくれればいいじゃん!
 そう思ったが口にはしなかった。口で勝てないのはわかっている。
 改札を抜け電車に乗ると、美鶴のストレスはさらに増した。
「あっ、金本くん! おはよう!」
 電車の中で聡の姿を見つけた女子生徒が、その傍に山脇の姿を見つけて目を見開いた。
 だが、さらに美鶴の姿を見つけるや、しばし絶句。
「何で大迫さんが一緒にいるワケ?」
 車内に広がる囁き声に、美鶴は必死に耐えた。
 駅に着くと早歩きで改札へ向かったが、当然二人を振り切ることなどできない。
 もともと足の長さが違うのだ。ちょっと早く歩いただけで振り切れるワケがない。かと言ってダッシュで逃げるのも見苦しいような気がして、結局そのまま三人で登校してしまった。
 正確には三人プラス数人の女子生徒。
 彼女らの目的は山脇か聡で、美鶴に挨拶してくる者などいない。
 逆に、鋭い視線は常に感じる。







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